CASE1・・・

三咲町の繁華街、その路地裏の入り組んだ所にそのバーは存在する。

看板もネオンもなく、ドアは塗装も剥げ、所々傷みすら存在し、そのノブは赤錆に完全に覆われていた。

しかし、そのドアを開けると世界は一変する。

その広さはワンルーム程度のこじんまりとしたものだが、床はピカピカに磨き上げられ、天井から吊るされたランプの明かりは店内を優しく照らし、店の片隅にひっそりとたたずむジュークボックスからはジャズが流れ、その落ち着いた音楽に心和む。

テーブル席は一切なく数席のカウンターのみ、向かい合うようにオーナー兼バーテンダーの初老の男性がグラスを磨いている。

更にその後ろには棚が植え付けられ、無数のボトルが棚を見事に彩っていた。

そんな一昔前もしくは映画やドラマにでも出てきそうなバーだが、客は一人しかいなかった。

その客・・・黒のスーツに身をまといセミショートの黒髪を無造作に遊ばせながらグラスに注がれた酒をちびちびと飲んでいると背後のドアが開いた。

「悪い、遅くなった」

「気にすんな。俺が早く来ただけだ」

開口一番来客が発した謝罪の言葉を男はさして気にしていないとグラスを軽く掲げて受け流す。

その仕草に軽く笑うとその来客・・・裏七夜頭目、七夜志貴は先客・・・遠野家現当主、遠野四季の隣に座る。

「マスターしばらくぶりだね」

「はい、お元気そうで何よりです七夜様」

志貴のあいさつにマスターはにこりと微笑みながら棚からボトルを取り出す。

「本日はストレートにいたしますか?それとも水で」

「今日は水割りで、其れと何かつまめるものを見繕って」

「かしこまりました。それと七夜様、キープしておりましたボトルですが」

「無くなりそうですか?それなら同じのを追加でお願いします」

「承知いたしました」

志貴の言葉に恭しく一礼するとまず、グラスに氷をいれると『Mr.NANAYA』と書かれたタグがつけられた国産ウィスキーをグラスに注いでから、氷に馴染ませるようにゆっくりと回す。

それから水を注いでから、マドラーで手際良く水割りを作り、カウンターの下からナッツなどの軽いつまみを皿に盛りつけてから両方を志貴の前に差し出した。

「ありがとう」

そう言って志貴は静かに水によってマイルドになったウィスキーの芳香を嗅覚でじっくりと楽しみ、それからゆっくりと、だが実に美味そうに水割りを一口飲む。

「ぁぁ・・・美味い。俺も自分で水割りを作りけどどうも上手くいかないんだよなぁ」

「左様ですか。僭越ながらそれはウィスキーと水の割合を間違えているのでは?」

「??割合ってやっぱりあるモノなんですか?」

「はい、ウィスキーを1とすれば水は2がちょうど良いとされております。それと・・・ひょっとしてですが、七夜様ウィスキーを注いだ後、すぐに水を注いでおりませんか?」

「え?確かにそうしてますが、それまずいんですか?」

「はい、ウィスキーは水と混ざると熱を生じてしまいます。そうしますと水で割った時にウィスキーの香りや味がぼんやりとしてしまうんです。ですのでまずは氷で冷やしてウィスキーを引き締める必要性があるのです」

「なるほど・・・勉強になります」

そんな歓談を済ませると、

「では、四季様、七夜様ごゆっくりお寛ぎください」

そう言ってカウンター横のドアから奥に引っ込んでしまった。

それと同時に場の空気が変わる。

「それで四季、話ってのは?」

「ああ、こいつを見てくれ」

そう言って四季が差し出したのはいくつかの資料。

それを一つ一つ丹念に確認する志貴だが、読むにつれて顔色が悪くなっていく。

「こいつは・・・『KKドラッグ』・・・」

「ああ、そいつの最後にして最大規模の備蓄施設だ」

二人の表情と声には苦みが走る。

KKドラック・・・二人にとっては因縁浅からぬ存在。

今から四年前に起こった遠野家・・・正確には遠野宗家を事実上乗っ取った分家筋刀埼、久我峰と七夜家との戦争において遠野側が用意した鬼手の一つ。

結果としては七夜家側が勝利をおさめ、刀埼、久我峰前当主は四季の手で処刑(表向きは事故死として有間家が処理した)、当主も代替わりした事で四季は遠野家を奪還、七夜家とも和睦し四季の妹遠野秋葉が志貴と婚約、翌月には結婚を控えており、七夜と遠野は親戚関係となる事は確実視されている。

その間四季は遠野一族の立て直しに全力を注ぎ、幸い分家は有力な家は全て四季を支持した事に加えて七夜の後ろ盾を得た事で改革は予想を遥かに超える速度で進みあと一歩の所まで推し進めた。

その合間を縫って刀埼、久我峰の旧勢力の一掃及び、旧勢力の拠り所ともいえるKKドラッグの根絶を推し進め、先日最後の施設を潰した事で完遂されたと思われた矢先に発覚した。

「しかし、よくこんな大規模な施設今の今まで隠し通せれたな・・・しかも場所は三咲中心街のビル一棟丸々かよ・・・」

「ああ、そいつは俺も疑問だったが、文臣の叔父貴の調査で判明した。奴ら金や女で調査員を軒並み買収していやがった」

怒りや情けなさで顔を歪める。

「で、買収された連中はどうした?」

「斗波と王刃の兄貴が処断した。で、改めて極秘調査をした結果出てきたのがこいつだ」

「なるほど・・・しかし、洒落になっていない規模だな。しかも・・・」

「ああ、連中寄りにもよってKKドラッグの改良品まで完成させやがった。世間にはサンプルとしてごく少数が出回っている程度だが本格的に流通を始めるのも時間の問題だろうな」

「身体機能の向上は前のと比べると格段に落ちるけどその反面、知性と理性の喪失は見られず、服用した後の後遺症はほぼ皆無か」

「一度に大量の服用ないし長期間の連続服用をすれば重篤な後遺症が出るだろうが、其れも最悪で半身不随程度、一度の服用で実質的に死体に成り下がる前のと比べれば飛躍的に改善されてやがる。厄介な改良しやがって」

「それもそうだが、俺としては知性と理性の減退が見られないこっちの方が厄介だぞ。力しかねえ木偶人形千体よりも、力と知性を両立させた怪物十人の方がよほど危険だ」

なるほどと四季は頷いた。

「で、四季、手をこまねくのか?」

「当然そんな事はしねえさ。すぐにでも片を付ける・・・と言いたい所だが、最悪な問題が発生してな。最後の資料を見てくれ」

「どれどれ・・・おい、冗談か?改良型KKドラッグ投与兵が百人常駐して警護に当たり、しかも改良型が出荷間近だと!」

「あくまでも推定って所だが、ほぼ間違いないらしい。明らかに俺らだけじゃあ手が足りねえし、時間も間に合わねえ。かと言って強硬策を取ろうにも場所が場所だ。間違いなく大パニックが起こる」

「下手なことをすればお前への反発に繋がるって訳か」

未だ若年にも関わらず四季が遠野における地位を確固たるものに出来た背景には、四季本人の手腕も確かなのだが、分家筋と七夜、この二つの後ろ盾が潜在的な反対勢力を黙らせていると言う理由の方が強い。

ここで反対勢力に付け込まれる事態を避けなければ最悪四季の権限は剥奪される事態になりかねない。

志貴をはじめとする七夜側も自分達と友好関係を続けている四季が遠野の当主となっている方がありがたい。

「そうなると潜入工作しかないか」

「ああ、隠密裏に始末をつけてくれりゃ後は王刃の兄貴と斗波が始末をつけてくれる。どうだ?やれそうか?」

「・・・やれるやれないじゃないだろう、やるしかない・・・それに父さんからも言われているからな『KKドラッグの根絶に関しては無条件で手を貸せ』って」

「ははっ、ありがたい話だ・・・未来の義父殿に感謝だな」

「全くだな。それで四季、もっと詳しい情報はあるか?」

「それも問題ない。依頼した情報屋から詳細な奴が出来上がったと連絡が来ている」

「情報屋?・・・おい、もしかして」

「あいつだ」

主語の入っていない志貴の問いかけに、やはり主語の入っていない返答を返す四季。

「・・・大丈夫なのか?あいつ」

「そこは問題ない。なんでもあいつの親戚の伝手でうってつけの道具を手に入れたと言っている。現に俺の依頼も完璧にこなしているからな」

「そうか・・・」

その伝手がだれなのか大体の予想がついた志貴は呆れ交じりの苦笑を浮かべる。

「それであいつここに来るのか?」

「いや、別の場所でお前を待っている。ばれた可能性は皆無だろうが念には念を押してだ」

「・・・監視されているのか?」

「その可能性があると斗波から報告を受けている」

「わかった。俺も細心の注意を払う事にする。それであいつは何処に?」

「起動屋台で待つと言っていた。今回の場所はお前は判っているはずだと言っていた」

「ああ~なるほどな。これからすぐに向かう事にする」

そう言い、グラスに三分の一ほど残った水割りを飲み干すと席を立った。

「マスター、美味い水割りありがとう。お勘定お願い出来る?」

財布を取り出そうとした志貴を四季が止める。

「俺が出しとく」

「いや、だがここは俺もプライベートで利用するんだし」

「今回の報酬の前払いって事ならどうだ?」

「・・・なんか悪いな」

「気にすんな。たまには奢らせろ」

「判った、判った。じゃ今度は仕事抜きでゆっくり飲もうな四季」

「ああ、志貴、気を付けろよ」

そう言って志貴は店を後にした。

「・・・良いご友人を持たれましたな。四季様」

「ああ、最初こそは最悪な出会いだったが今や、俺にとって最高のダチで・・・将来の義弟さ」

そう言いながらグラスを酒を飲み干す。

その表情に穏やかな笑みを浮かべながら。









CASE2・・・

四季と別れてから十数分後、志貴の姿は三咲町の市街地外れの公園にいた。

むろんだが、その道中、気配を完全に断ち切り尾行される危険性を完全に排除してだ。

その視線の先には一台の屋台が営業しており、食欲を誘う匂いが漂ってくる。

志貴は躊躇う事無くその屋台の暖簾をくぐると先客に声をかけた。

「待たせたな有彦」

「おせえよ七夜、こっちは一杯やった所だぞ」

そう言い日本酒の注がれたカップを掲げて志貴を出迎えたオレンジで髪を染めた男は乾有彦。

志貴とは少年時代『千年城』で修業を積んでいた頃に出会いそこからの腐れ縁。

そして高校時代では志貴、有彦、そして四季とでバカやっていた悪友でもあった。

「悪い悪い。尾行があるものだと想定して動いていたんでな」

「・・・つけられていたのか?」

有彦の声に重いものがこもる。

「想定してって言っただろ。しくじりは許されねえからな」

「なるほどな」

ついでに言えば、入る直前に志貴は空間封鎖を屋台の周りに張ったので盗聴および奇襲の恐れは全くない。

「んじゃ、真面目な話から済ませるか。こいつが遠野から頼まれた奴だ」

そう言って足元からA4サイズの茶封筒を取り志貴に渡す。

それを受け取り志貴は中身を確認する。

「ビルの間取りは・・・連中がビルを買い取る前のものか?」

「ああ、俺も何とか潜入を試みたが、触りが精々だった」

「警戒も厳重だろうし無理ないさ。これに関しては俺の方でどうにかする」

「悪いな。で、あともう一つ厄介なこともあってだな」

「厄介って・・・これ以上何が・・・は、改良型KKドラッグの出荷は五日後?・・・四季の話だとまだ時間に余裕があるようなニュアンスだったんだが」

「どうも連中、遠野が本格的に探りを入れている事を察したらしくてな、本来二週間後だったのを前倒ししたらしい」

「まずいな・・・」

志貴は苦い表情でぼやいた。

と言うのも現在七夜は現在従兄弟である晃、誠が率いる『七つ月』と志貴が頭目を務める裏七夜野二つの組織があるが、基本として混血などの始末や要人護衛などは『七つ月』が、純然たる魔の掃滅には裏七夜がその任を請け負い、その領分を侵す行為は極力控えているからだ。

もっとも、其れは縄張り意識と言うよりは住み分けの意味合いの方が強く非常事態であれば力を合わせて事に臨むことも決まっている。

「二週間後なら『七つ月』のメンバーにも声を掛けて仕掛けられると思っていたんだが・・・五日後じゃあ、呼んでいる暇はないな」

不運にも『七つ月』現当主である晃、誠を含めた主力メンバーは軒並み別の仕事で里を離れており、戻ってくるのは最短でも六日後、最長では九日後。

現状里に残った人員も七夜の暗殺者としては一人前であるが、改良型KKドラッグ投与兵とまともに渡り合えるかと言えば、いささかならず疑問符を付けざるおえない。

おまけに追い詰められれば備蓄されている旧型のKKドラッグに手を出すだろう。

そうなれば対応できるのは志貴しかいない。

何よりも施設の制圧に手間取り、その間に改良型KKドラッグの出荷を許すような最悪の事態は何が何でも回避せねばならない。

そうなると・・・残された手段はただ一つ。

「仕方ないな。本来ならやっちゃならねえが、事が事だ。俺が単独で潜入するしかないな。事KKドラッグの問題であれば父さん達も賛同してくれるだろうし」

「あ~、お前が出張るならもう成功確定だな。それにしても七夜、それができるんだったらなんでそれやらねえんだ?」

「当たり前だろ。何でもかんでも俺が出張ってばかりじゃあ『七つ月』の後進が全く育たないし、何よりも親方日の丸ならぬ親方志貴の精神が新世代は無論現世代の間にも蔓延しかねない」

「なるほど、つまり言い方悪いが、『七つ月』じゃあ、長い目で見るとお前は他の連中にとって成長の阻害になりかねないから裏七夜に押し込んだってことか」

「露骨に言い過ぎだ。その通りだけどよ」

有彦の身も蓋もない物言いを志貴は苦笑一つだけで受け入れる。

実際に黄理が志貴を裏七夜頭目に任じた最大の理由も、志貴と現世代の間に存在する隔絶した実力差を憂慮しての事だった。

「さてと、んじゃ真面目な話は終わりにして飲むか」

「そうだな。それにしても・・・」

そう言って志貴は屋台を見渡す。

「これってどう見てもマークⅡだよな?」

と言うのもこの屋台を利用するのは志貴は初めてではない。

屋台の正式名称は『起動屋台・中華反転マークⅡ』。

高校時代、小腹のすいた時や、なんとなく気まぐれで有彦や四季とともに利用していた青春時代の思い出の一つでもあった・・・あったのだが屋台の内装が明らかにおかしい。

かつて利用した時はラーメン屋台だったのだが、目の前にあるのは出汁が染み込んだおでん種の数々。

「いや、こいつはマークⅢだそうだ」

「マークⅢ??」

「ああ、正式名称は『起動屋台・おでん反転マークⅢ』だとよ。高田がそう言っていた」

有彦の言っていた高田と言うのはやはり高校時代、志貴と有彦のクラスメートだった少年の名前だった。

そしてこの屋台の店主は彼の兄で、完全な道楽の為に違法改造を施したバイクで屋台を曳き三咲町を現れる神出鬼没かつ不定期に現れる知る人ぞ知る名物屋台であり、三咲町では都市伝説の扱いを受ける迷物屋台、それがこの屋台の正体だった。

「・・・ちなみにマークⅡとマークⅢの違いは?」

「ラーメンの屋台かおでんの屋台かだけ」

「・・・」

安直すぎる命名に思わず天を仰ぐ。

「前から思っていたけど・・・高田君のお兄さんネーミングセンスって独特だよな」

「まあな・・・」

志貴の取り繕った言葉に有彦も思わず言葉を濁す。

「だがよ、味は折り紙付きだぜ。前に遠野と一緒にここで飲んだけどあいつも絶賛していたからな」

有彦の言葉は真実でその時四季は本気で遠野家へ・・・と言うか四季個人のお抱えにならないかと勧誘したほどだった。

「そうか、お前と四季のお墨付きなら間違いないな。じゃ、お兄さん、日本酒と・・・大根、白滝、ちくわお願い」

志貴の注文に向こう側にいた店主が無言でうなずくと、手際よく注文の品を盛り付けて志貴の前に差し出してからカップに日本酒を並々と注ぐ。

「んじゃ、俺も日本酒お替り、後、はんぺん、ごぼう巻きと卵」

有彦の注文にも手早く対応する。

「んじゃ、改めて乾杯」

「ああ、乾杯」

互いの注文した分が揃うと、カップを掲げてから日本酒を一口飲み、それから志貴はまず大根にを口に運ぶ。

「・・・美味いなこの大根。出汁の染み込み具合も絶妙だし何よりも出汁が美味い。大根を食べればそのおでん屋の評価が決まるってよく言うけど真実だな」

「だろ。つくづくおかしい話だなって遠野もぼやいてたぜ、『なんでこれだけ腕のいい料理人がモグリなんだ』って」

「て、お兄さん、まだモグリでやっているの?」

有彦の言葉に思わず志貴は目を丸くする。

この起動屋台、先にも記述したが神出鬼没、不定期に現れるのだが、その最大の理由としては店主が調理師免許を持っていない事にある。

そんな志貴の驚きに満ちた問いに店主は菜箸を持ちながら身振り手振りで

(あくまで、道楽程度でやっているから)

とだけ答える。

「・・・明らかに道楽の域を超えていると思うんだが・・・」

「ていうか、お兄さん、一体職業って何だろう?」

「ああ、其れか・・・以前高田にも聞いたんだけど・・・」

「高田君なんだって?」

「あいつも両親もわかんねえだと。ただ、家には生活費とかは入れているし、このおでんやラーメンの具材も自分で仕入れてる。おまけに借金の欠片もねえから無職じゃねえみたいだが・・・」

「本人からは・・・」

そこまで言って志貴は店主を見てからため息をつく。

「言う訳ないか」

「そう言う事だ。本人曰く『やばい仕事じゃない』って事だが」

「有彦そもそもこの屋台からして『やばい仕事』だろ」

違いないと神妙な顔で頷いた。

そんな与太話の後は、おでんをつつき、日本酒を呷りながら互いの近況を話し合う。

「じゃあ、一子さんは先生の助手に?」

「ああ、なんだかんだで気性が合うんだとよ」

「そうだな、そこは予測がつくな。で、お前は先生のお姉さんの助手か」

「ああ、俺みたいな社会に出たてのガキが情報屋の端くれやれてるのも、燈子姉貴が用立ててくれた魔道具のおかげだからよ」

「確かに先生のお姉さんすごく器用だからな・・・」

「ああ、あのくそばばぁとは完全に真逆だって」

「そうだな・・・父さんの義手用立ててくれたのも、その人だったもんな・・・あれ?そういや有彦、お前なんで先生の事は『ばばあ』なのに先生のお姉さんは『燈子姉貴』なんだ?」

「ああ、それか・・・」

そこで有彦の表情が苦虫を噛み潰したような表情になる。

「一度口走っちまったんだよ燈子姉貴が一番嫌う呼び方、そしたらマジで食われかけた」

「・・・えっと、それって性的な意味でか?それとも・・・」

「お前が考えている方の意味でだよ。そん時は燈子姉貴の助手らがどうにかとりなしてくれたお陰で、俺は五体満足に生き延びたがな」

「舌禍が命に関わる事態を引き起こすのは先生で骨身に染みたんじゃないのか?」

「いや、まさかあそこまでマジ切れされるとは予想外だったんでな。まあどちらにしろ二度と口にする気はねえよ」

そう言ってやれやれと肩をすくめる。

「本当に懲りないなお前」

内心、肩をすくめたいのはこっちだと言いたいがそこはぐっとこらえる。

「で七夜、お前まだ結婚はしてねえのか?」

「ああ、今は婚約段階だ。来月いよいよ式を挙げる」

「??なんでまた。お前らの様子から見て卒業後速攻で結婚するかと思っていたんだが、もう一年経つんだろ。なんか不都合でもあったか?」

「不都合って言うほどじゃない。秋葉が卒業してから正式に式を執り行うって事になったのさ。ほら秋葉はまだ浅上の三年だろ?俺たちは高校三年楽しい思い出を作ったんだ。だったら秋葉にもその思い出を作ってあげようって事になってな」

「なるほどねぇ・・・翡翠ちゃん達は賛成したのか?」

「したというか・・・そもそもこの案を最初に出したのは翡翠達だ」

「そうなのかよ。出来た嫁さん達だな」

「ああ、俺には過ぎた位のな」

「ああ、ごちそうさん、ごちそうさん・・・日本酒お替り、其れと・・・昆布にさつま揚げ追加」

「じゃ、俺も日本酒もう一杯。で、ちくわぶに大根追加」

そんなこんなで互いのバカ話に花を咲かせていたが、不意に

「っとそうだ、思い出した事がある。お前、完全な当事者だから耳に入れておこうと思うけど」

ふいに有彦は真面目な表情で志貴の顔を見る。

「ん?」

「弓塚の件だ」

「・・・」

志貴の視線に鋭いものが加わる。

「さつきのご両親か?」

「ああ、現状血眼になって弓塚探している。警察に捜索願を出そうとしたらしいが、弓塚自身が置いて行った書置きもあって受理されなかったって嘆いていたぜ」

「その様子だとお前の所にも来たのか?」

「ああ、お前の実家の場所を教えろってな。とりあえず知らぬ存ぜぬで押し通したが」

「悪い、手間かけさせて」

「まあ、いいって事よ。だけどよ・・・先手打っといた方が良いぞ。あの調子じゃ、どんな手を使ってでもお前の居場所探り当てようとするぜ。その過程でお前の正体が知れる羽目になったら・・・」

「そうだな。さつきを説得してどうにかしてみる。最悪かつ最低の手段は回避したいからな」

「そうしておけ」

その後は再びバカ話や思い出話、そして互いの近況に盛り上がり、

「っと、もうこんな時間か。悪い有彦今夜はこれで帰る。四季とお前の集めてくれた資料を精査した上で明後日には事を起こす。その為の準備今夜から始めないとならないから」

「おいおい、あんだけ飲んだのに大丈夫なのかよ?今夜は休んで明日からにした方が良いんじゃないのか」

「心配ない。『千年城』の頃から先生達に散々飲まされたせいで酒には強くなったよ」

「あ~そういやばばぁも言っていたな。お前酒に関してはざる通り越して枠だって」

「そう言うこった。有彦お前は?」

「俺はもう少し飲んでいく」

「そっか。じゃあお兄さん俺と有彦の分まとめてお願い」

そう言うと志貴は財布から一万円札を取り出し手渡す。

「おいおい、気使わなくてもいいぞ七夜。俺の分は俺で出すから」

「この前のマークⅡの時はお前が奢ってくれただろ。それに四季の所でも奢られたんだ。たまには俺に奢らせろ」

そう言って半ば強引に支払いを済ませると(ちなみにお釣りは受け取っていない)、

「じゃ、またな有彦、今度は仕事とか抜きにして四季も入れて三人で飲もうぜ」

「おお、そりゃいいな。そうなるとマークⅢでか?」

「ここも良いが、使う頻度を多くしてお巡りさんに見つかるのも嫌だしな・・・あそこのバーにするか」

「あそこか・・・良い店なんだが、俺にはちょっと上品すぎるんだよな~」

「贅沢言うな有彦、ああいう所で飲む酒も美味いんだし。それにどうせ四季の奢りで飲むんだろ?」

「ははっ、違いねぇな。んじゃ、七夜結果は判りきっているが、とりあえず成功を祈っているぜ」

「とりあえずは余計だ。まあ気持ちだけは受け取っておく。じゃあな」

そう言って志貴は夜の闇に消えていった。

志貴がいなくなった後店主がやはり身振り手振りで

(君ももうおあいそ?)

と聞いてきたが、

「いんや、まだ釣りは残っているんだよな。だったらもう少し飲ませてもらうわ。つー訳で日本酒もう一杯、其れと・・・」

にかっと笑いながら注文を続行するのだった。









CASE3・・・

それから二週間後・・・

「お疲れさん志貴」

「ああ、ありがとな士郎」

志貴の姿は冬木、衛宮邸にあった。

あの後志貴はすぐに七夜の里に引き返し、晃、誠、そして黄理に事情を説明、三者からの承諾を受けてKKドラッグ掃滅の単独任務を開始。

結果は言うまでもなく改良型KKドラッグ投与兵、さらに緊急で投入してきた旧型KKドラッグ投与兵の全てを抹殺、流通目前だった改良型KKドラッグおよび施設の関係者を全て確保、その後突入してきた遠野の部隊に引き渡しに成功。

所要時間にしてわずか二時間半の超電撃作戦で終わらせてしまった。

完了後、志貴は先日の約束通り四季、有彦と共に祝勝会を兼ねてバーで美酒に酔いしれ、そして今日はここ衛宮邸でもう一人の功労者と共に衛宮邸で酒を飲み交わしていた。

では士郎のどこが功労者なのかと言えば・・・

「しっかし、相変わらずえげつないなお前、ビル一棟丸ごと二時間半で制圧って・・・」

半ば呆れたように言う士郎だったが。

「何言っているんだよ士郎。俺から言わせればお前の方がよっぽどえげつないだろう。あの規模のビル数分で解析してのけるなんて」

苦笑しながら言う志貴。

そう四季、有彦から渡された資料がどれもこれも正確かつ完璧だったのだが、ビル内部の構造に関してもう一押し確認しておく必要を感じた志貴は、翌日士郎に連絡を取り、問題のビルを解析してもらった。

ふつう見知らぬ人間が周りを徘徊していれば怪しまれるものだが、場所が場所なのでその心配は皆無。

数分して全ての解析を成功してその結果は今回のスピード制圧に存分に役に立った。

結果だけ言えばビルを買い取った直後から極秘裏に作り上げていた隠し部屋が各階に存在しておりそこに旧型、改良型を問わずKKドラッグが備蓄されていた。

万が一にもこの施設が襲撃を受けた時、被害は最小限に食い止める保険のつもりだったのだろう。

と言う事は遠野側にまだ獅子身中の虫が存在している事を意味する。

士郎から話を聞いた志貴はすぐさま四季へその旨を報告、四季もすぐに内部の洗い出しを開始、刀埼、久我峰、さらには有間にまでスパイが潜んでいたことが発覚。

こちらの動きを察知される前に志貴は施設襲撃を開始、制圧が完了されると同時にスパイも拘束されKKドラッグは回収後全て焼却処分。

KKドラッグは今度こそこの世から消滅した。

「四季にはお前の事も話しておいた。後日お前の口座に今回の謝礼金が振り込まれるはずだ」

「なんか悪いな。俺は解析しただけなのに」

「その解析のおかげでKKドラッグを一網打尽する事が出来たんだ。お前の功績はでかいよ。それに自分がコントロールできる範囲なら、金はいくらあっても困らない。ありがたく受け取っておけ」

「ははっ、お前らしいな。そうしておく」

そういって志貴は日本酒を飲みながら士郎手作りの料理を口に運ぶ。

一方の士郎はと言えば・・・こちらも当然のように日本酒を口にしていた。

この光景を見ればわかるように士郎も又酒の味を師匠連中の手で覚えこまされていた。

しかも志貴と同レベルと言って良い酒豪。

因みに志貴がその事を知ったのはつい最近の事で。

「しかし、お前まで師匠達の毒牙にかかっていたとは思わなかった。てっきり俺だけかと思っていたが」

「ああ、ほら俺の場合平行世界に飛ばされまくって修行してただろ。その時に『向こうに行けばお前も大人あつかいになるからな』、『酒の味を覚えておいて損はないやろ』ってゼルレッチ師とコーバック師がな・・・」

「言うよな、師匠も教授も。しかも俺の時とは違って明確な理由も大義名分もあるから躊躇しないだろうし」

「っておい、もしかしてお前の時って理由無かったのか?」

「ああ、強いて言えば『酒飲みの同志が欲しい』って位か」

「とんでもねえ不良死徒共だな」

「全くだ。俺もお前も酒がある程度強かったからまだどうにかなったが、そうじゃなかったら今頃急性アルコール中毒でぽっくり逝っていたっておかしくなかったぞ」

師への愚痴や毒舌までも酒の肴に日本酒を飲んでいた二人だったが、それを飲み干すとそれで終わりには当然ならず、士郎が缶ビールを冷蔵庫から取り出すと当たり前のように自分と志貴の前に置く。

「サンキュ、って今更だけど大丈夫なのかこんなに飲んで」

「大丈夫、明日は学校も休みだし」

「それもあるが藤村さんは」

「藤ねえは学校の研修で泊まり込み、どんなに早くても明日の夜までは帰ってこない」

「なるほどじゃあ今夜は」

「ああ、とことん飲むか。お前と差しつ差されつ飲む機会なんてそうそうないしな」

「しかもお前は学生だしな」

そう言って朗らかに笑いあい缶ビールのプルを上げる。

「んじゃ改めて乾杯」

「乾杯」

そう言いながらビールを美味そうに飲み干すと次に志貴はウイスキーボトルを取り出し

「水割りで行くか?それともストレート?」

「じゃ、水割り」

「よしそれなら俺に任せろ、知り合いのマスターから美味い水割りの作り方伝授されたんだ。楽しもうぜ」

陽気に笑いながらグラスを二つ掲げる志貴に士郎も笑って承諾した。

そんなこんなで静かな、だが、楽しい宴席は続いていく。

「いよいよ半月余りかお前の結婚式」

と、何杯目かになる水割りを飲みながら思い出したように呟いた。

「ああ、もう新居も完成して引っ越しも終わっている。皆の方も準備はあらかた出来たし、招待状も送付済み。お前も予定はどうだ?」

「大丈夫だ。学校は休みに入るし、予定も元から入れていない。入ったとしてもこっちを優先するさ。お前の結婚式なんだからな。這ってでも参加するさ」

「ありがとうな。お前の時には俺も招待してくれ。お前の事を盛大に祝うから」

「ははっサンキュ。それはまだまだ先の話だろうな。今の所俺のそばにいる異性なんて藤ねえかバイト先のネコさんしかいないし、二人とも俺にとっては家族のような人達だし」

「そっか、でもお前なら相手も見つかるさ。もしかしたら俺と同じパターンになるかもしれないんだし」

「それはない。絶対にない。一人いてくれれば十分だよ」

「そうか?先生言っていたぞ『士郎はもう一皮剥ければ、志貴レベルの素敵な男の子に必ずなれるはず』ってな。そこは師匠も教授もそれに俺も同感だし」

「嬉しいと言うべきか買いかぶり過ぎだと恐縮するべきか・・・さて」

残っていた水割りを飲み干すと、立ち上がりぐっと背伸びをしながら。

「用意してきた酒も飲み切ったことだし、今日はこれでお開きだな」

「だな、これ以上は悪酔いしかねないし、ここらがいい塩梅だな」

そう言って志貴も同じように背伸びをする。

二人共若干顔が赤いが、それ以外はいつもと全く変わらない。

とてもではないが、二人で缶ビール二本、ウィスキーボトル一本、日本酒に至っては一升瓶を飲み干したとは思えない。

「四季や有彦と飲む酒も美味いが、お前との酒飲みは別の意味で格別だな。お前位だよ、俺の酒量についてこれるのは」

「俺もたまにお前と飲み明かすから酒が美味いと感じるんだろうな。さて後片付けを始めるか。この惨状誰かに見られたらたまったもんじゃない」

「おしっ、じゃ俺も手伝うとするか、酔い覚ましにはちょうど良い」

「ありがとうな」

そう言って二人は互いに飲み食いした食器をまとめ流し台に持っていく。

その足取りは酔った人間とは思えないほどしっかりとしていたものだった。









CASE4・・・

「・・・」

「・・・」

三咲町のバーで四季と有彦が酒を飲んでいた。

だが、その表情は沈痛そのもの、常に見せていた陽気な空気は微塵も見られない。

おまけに二人が来ているのは黒のスーツに黒のネクタイ、明らかに喪服のそれだった。

それに加えていつもはバーで流れている音楽もこの日に限っては何も流れてこない。

重苦しく痛々しいほどの静寂の中二人は酒を飲んでいた。

「・・・本当に逝っちまったんだな・・・あいつ」

ふいに有彦がぼそりと呟いた。

「ああ・・・」

それに四季が心ここにあらずと言った感じで応じる。

「あの馬鹿・・・何が『自由に生きてくれ、幸福に生きてくれ』だ・・・秋葉にとっての幸福ってのはお前と共に生きる事なんだよ!」

ぶつけようのない感情が爆発したのかカウンターに拳を叩きつける。

加減を忘れたが為であろう、オーク材のカウンターに拳状のへこみが出来ている。

「・・・悪い、マスター」

少しして感情が落ち着いたのか自己嫌悪に満ちた表情でマスターに詫びる。

「いえ・・・」

そういうマスターの表情も沈痛そのもの。

「・・・酔えねえな・・・」

そんな中、有彦はブランデーをストレートで何杯も飲み干しているが、全く、酔っているようには見えない。

現にどれだけ酒を飲んでも全く酔えず、明らかに酒の力で現実逃避しようとしているに過ぎなかった。

「・・・マスターおかわ」

有彦がブランデーをもう一杯貰おうとした時、その視界にあるキープボトルが目に入る。

「・・・なあ、遠野」

「??なんだ有彦」

「あいつのキープボトルどうするんだ?」

有彦の視線の先には『Mr.NANAYA』のタグがつけられたウィスキーボトル。

見れば中身の残りは少なく二、三杯分といった所だろう。

「ああ、あれか・・・あれは・・・どうするんだ?」

質問の意図がわからず困惑するがとりあえず四季がマスターに同じ問いを返す。

「ああ・・・七夜様のキープボトルでございますか・・・亡くなられておりますので、保存期間が過ぎた時点で廃棄する事になりますが」

「そっか・・・んじゃさマスター、そのボトルで水割り作ってくれねえか?あいつの弔い酒にしてえから」

それに渋い表情を作るマスター。

いくらこの世にいない人間のものとはいえキープボトルの酒を他人に飲ませるなど言語道断である。

だが、

「頼む、今回だけの特例って事に出来ないか?この事でここに悪評が流れるなら俺が全部の責任を負う」

四季の真摯な頼みに渋々首を縦に振った。

「かしこまりました。ですが、このような事は」

「判ってる。俺も馬鹿じゃねえよ。今回限りだし、こんなみっともない事よそで出来るか」

「じゃあ、マスター水割りを二つ・・・いや、三つ頼む。俺と有彦と・・・志貴の分を」

四季の注文を受けて残りのウィスキーで三つの水割りを作ると有彦、四季、そしてもう埋まる事のない空席に並べる。

「んじゃ、乾杯」

「ああ」

グラスを手に四季と有彦が水割りを一気に飲み干した。

その時だった。

(最期に美味い水割りありがとうな)

「「「えっ??」」」

もう聞くことの無い筈の声を確かに三人は聞いた。

声の方向・・・三つ目の水割りを置いた方に視線を向けると氷だけが残されたグラスがそこにあった。

しばし三人はグラスを凝視していたが、氷がグラスに当たる涼やかな音が響くと我に返った。

「・・・あの馬鹿・・・面ぐらい見せろ」

思わず愚痴をこぼす四季だが、その表情は笑顔を浮かべていた。

「全くだ。マスター、水割りもう一杯」

それにつられる様に有彦も笑みを浮かべて注文を入れる。

「俺も頼む。ここからは気持ちよく酔えそうだ。それと志貴の分も追加で」

「かしこまりました」

四季の注文を受けて、マスターも笑みを浮かべて水割りを三杯作る。

「んじゃ、改めて、あいつの冥福を祈って」

「ああ、それと俺たちの長生きを祈って」

「「乾杯」」

乾杯して水割りを飲み干してから三つ目の水割りに視線を移すが、無くなる事はなかった。

だが、弔い酒を名目にした酒宴は穏やかに賑やかに夜を徹して執り行われたのだった。


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